開校ストーリー・沿革

開校ストーリー

「高校を作りたいと思います」の言葉から始まった夢


学園長 境 佑介

平成22年4月1日、福岡県で3年間、障害者スポーツや福祉スポーツを学んだ後、私は専門学校の職員としてこの地元長崎の岩永学園グループに入社し、長崎駅前にある校舎(附帯教育施設)に配属となりました。
入社初日、岩永守弘理事長より「窓の外を見てごらん。本校よりも目の前のビルの方が大きい。あんな大きな施設が自分のものになるとしたら君なら何をしたい?」と聞かれ、「高校をつくりたいと思います」ととっさに答えました。
福岡での3年間は障害者スポーツのインストラクターとして働くかたわら、高等学校で非常勤講師としても勤務をしていました。その学校現場の中で、学校を辞めていく生徒、欠席が続いている生徒を多く見てきました。非常勤講師である私は、毎日高等学校へ勤務するわけではないので、名簿からいなくなる生徒や不登校となっている生徒の情報は断片的にしか入ってこず、私は果たして生徒へ何を伝えることができたのだろうと無力さを感じることも多々ありました。
その気持ちが心のどこかでモヤモヤしている状態だったんでしょうね…。とっさに出た答えがこの言葉でした。

子供たちを取り巻く環境の変化


入社当時の平成22年、本校は長崎駅前の校舎を利用して、求職者を対象に職業訓練をおこない、就職に有利となる専門知識や、技術の取得を目指す社会人の方が多く通学していました。その中で履歴書の書き方について指導をしていると、高校中退が最終学歴となってコンプレックスを抱えている方が多くいることに気付かされました。
また同時期に、子どもたちを取り巻く環境がとても不安定になっているニュースを見る機会が増え、不登校やひきこもりなどの言葉もよく目にするようになってきました。この辺りからでしょうか…。私が「高校をつくりたい」と言った言葉を形にできたら、そこにたくさんの子どもが集い、夢や希望を語りあえる場所になるのではないかと本気で考えだしたのは。

心技翔創変の精神


岩永守弘理事長より他県の通信制高校2校を訪ねてみようと提案がありました。私はなぜ他県の通信制高校を訪問する必要があるのかわかりませんでしたが、理事長は私たち職員よりもさらに深く、子どもたちを取り巻く社会背景を見て、悩み苦しんでいる子どもたちのニーズに合う教育施設の立ち上げに本気で動き始めていました。
本学園グループの理念に「心技翔創変の精神」という言葉があります。意味は、「変化の激しい人生の中で時代の移り変わりを的確に捉え、心身・技術を磨き、進化・成長していくこと」です。理事長は5年後、10年後の子どもたちを取り巻く環境を見据え、今できることに動き出したのです。
本校は母体が専門学校であるため、高校卒業資格を付与することはできません。しかし、他県にある広域通信制高校と連携することができれば、技能連携教育施設や通信制高校サポート校として開校し、高校卒業資格を付与することができると分かり、他県の通信制高校2校との面談が始まったのです。

たくさんのドラマを経てこころ未来高等学校の誕生


平成24年4月、長崎県教育委員会指定技能連携教育施設こころ夢未来高等学院が誕生し、27名の生徒が入学しました。そこからは毎日が試行錯誤。入学の経緯や学習の習熟度もちがう生徒たちと多くの時間を共有しました。
夜も土日も関係なく、子どもたちの話に耳を傾け、子どもたちの変化を観察し、勉強を教えてくれる「先生」ではなく、常に横にいてくれる「先輩」や「大人」として時間を過ごしました。本当にたくさんのドラマがあって涙を流す日も多かったですね…。友人関係で悲しい思いを経験し、人に会うことすら怖がっていた生徒が「学校の先生になりたい」と夢をもってくれた日。保護者の再婚が素直に喜べず、新しい父親と喧嘩ばかりの日々を通して初めて「お父さん」と呼べた日。病気で命を落とすまで、懸命に夢を追い続けた日。たくさんの生徒が、「自分」というドラマを、もがきながら前へ進め、卒業というクランクアップを迎える。その姿が新しい仲間(生徒)を増やし、平成28年4月に『こころ未来高等学校(一条校・広域通信制普通科)』となり、現在350名近くの生徒が在籍しています。

こころ未来高等学校の誕生

これからのこころ未来高等学校


実は平成24年、25年に転校生として入学してくれた生徒が、大学へ進学した後、本校の先生として後輩の指導にあたってくれています。私の誕生日には毎年卒業生がプレゼントを届けてくれます。学校生活の中で人の温かさに触れ、温かい心を育む。本校は通信制高校ですが、レポートや教科書を自宅へ届けて終わりではない。face to faceで人間味あふれる教育を展開していきたいと考えています。
そのために昨年度からは教育相談部を立ち上げ、非活動生徒の予防支援や登校支援をおこなっています。また今年度から常勤のスクールソーシャルワーカー(SSW)も加わり、さらに活動の強化を図っています。
他にも新たな取組として、本校職員の授業動画をホームページ内で配信し、自宅で学習を進める生徒への支援をおこなったり、月に2回ですが、校内居場所カフェをオープンし無料でおにぎりや飲み物を提供、ほっと心やすまる時間をもうけたりしています。そして、夜の時間には2か月に1回程度学習会をおこない、本校生徒の事例をもとに、他校の先生方や関係団体の方々と学びを深めています。
さらに、全国で私たちの思いに賛同してくれる方を募り、県外にも通信制高校サポート校の設置を進めています。将来的には土日で小中学生の無料塾をしたいな…とか、生徒に起業させてみたいな…とか、卒業生と在校生にたくさんの交流をさせたいな…とか、たくさんの夢を思い描いています。
社会、地域、保護者、卒業生、在校生 … 、たくさんの人が集う場所として『こころ未来高等学校』を進化させていきたいと思います。

開校ストーリー

「高校を作りたいと思います」の言葉から始まった夢


平成22年4月1日、福岡県で3年間、障害者スポーツや福祉スポーツを学んだ後、私は専門学校の職員としてこの地元長崎の岩永学園グループに入社し、長崎駅前にある校舎(附帯教育施設)に配属となりました。
入社初日、岩永守弘理事長より「窓の外を見てごらん。本校よりも目の前のビルの方が大きい。あんな大きな施設が自分のものになるとしたら君なら何をしたい?」と聞かれ、「高校をつくりたいと思います」ととっさに答えました。
福岡での3年間は障害者スポーツのインストラクターとして働くかたわら、高等学校で非常勤講師としても勤務をしていました。その学校現場の中で、学校を辞めていく生徒、欠席が続いている生徒を多く見てきました。非常勤講師である私は、毎日高等学校へ勤務するわけではないので、名簿からいなくなる生徒や不登校となっている生徒の情報は断片的にしか入ってこず、私は果たして生徒へ何を伝えることができたのだろうと無力さを感じることも多々ありました。
その気持ちが心のどこかでモヤモヤしている状態だったんでしょうね…。とっさに出た答えがこの言葉でした。

子供たちを取り巻く環境の変化


入社当時の平成22年、本校は長崎駅前の校舎を利用して、求職者を対象に職業訓練をおこない、就職に有利となる専門知識や、技術の取得を目指す社会人の方が多く通学していました。その中で履歴書の書き方について指導をしていると、高校中退が最終学歴となってコンプレックスを抱えている方が多くいることに気付かされました。
また同時期に、子どもたちを取り巻く環境がとても不安定になっているニュースを見る機会が増え、不登校やひきこもりなどの言葉もよく目にするようになってきました。この辺りからでしょうか…。私が「高校をつくりたい」と言った言葉を形にできたら、そこにたくさんの子どもが集い、夢や希望を語りあえる場所になるのではないかと本気で考えだしたのは。

心技翔創変の精神


岩永守弘理事長より他県の通信制高校2校を訪ねてみようと提案がありました。私はなぜ他県の通信制高校を訪問する必要があるのかわかりませんでしたが、理事長は私たち職員よりもさらに深く、子どもたちを取り巻く社会背景を見て、悩み苦しんでいる子どもたちのニーズに合う教育施設の立ち上げに本気で動き始めていました。
本学園グループの理念に「心技翔創変の精神」という言葉があります。意味は、「変化の激しい人生の中で時代の移り変わりを的確に捉え、心身・技術を磨き、進化・成長していくこと」です。理事長は5年後、10年後の子どもたちを取り巻く環境を見据え、今できることに動き出したのです。
本校は母体が専門学校であるため、高校卒業資格を付与することはできません。しかし、他県にある広域通信制高校と連携することができれば、技能連携教育施設や通信制高校サポート校として開校し、高校卒業資格を付与することができると分かり、他県の通信制高校2校との面談が始まったのです。

岩永守弘 前理事長

たくさんのドラマを経てこころ未来高等学校の誕生


平成24年4月、長崎県教育委員会指定技能連携教育施設こころ夢未来高等学院が誕生し、27名の生徒が入学しました。そこからは毎日が試行錯誤。入学の経緯や学習の習熟度もちがう生徒たちと多くの時間を共有しました。
夜も土日も関係なく、子どもたちの話に耳を傾け、子どもたちの変化を観察し、勉強を教えてくれる「先生」ではなく、常に横にいてくれる「先輩」や「大人」として時間を過ごしました。本当にたくさんのドラマがあって涙を流す日も多かったですね…。友人関係で悲しい思いを経験し、人に会うことすら怖がっていた生徒が「学校の先生になりたい」と夢をもってくれた日。保護者の再婚が素直に喜べず、新しい父親と喧嘩ばかりの日々を通して初めて「お父さん」と呼べた日。病気で命を落とすまで、懸命に夢を追い続けた日。たくさんの生徒が、「自分」というドラマを、もがきながら前へ進め、卒業というクランクアップを迎える。その姿が新しい仲間(生徒)を増やし、平成28年4月に『こころ未来高等学校(一条校・広域通信制普通科)』となり、現在350名近くの生徒が在籍しています。

こころ未来高等学校の誕生

これからのこころ未来高等学校


実は平成24年、25年に転校生として入学してくれた生徒が、大学へ進学した後、本校の先生として後輩の指導にあたってくれています。私の誕生日には毎年卒業生がプレゼントを届けてくれます。学校生活の中で人の温かさに触れ、温かい心を育む。本校は通信制高校ですが、レポートや教科書を自宅へ届けて終わりではない。face to faceで人間味あふれる教育を展開していきたいと考えています。
そのために昨年度からは教育相談部を立ち上げ、非活動生徒の予防支援や登校支援をおこなっています。また今年度から常勤のスクールソーシャルワーカー(SSW)も加わり、さらに活動の強化を図っています。
他にも新たな取組として、本校職員の授業動画をホームページ内で配信し、自宅で学習を進める生徒への支援をおこなったり、月に2回ですが、校内居場所カフェをオープンし無料でおにぎりや飲み物を提供、ほっと心やすまる時間をもうけたりしています。そして、夜の時間には2か月に1回程度学習会をおこない、本校生徒の事例をもとに、他校の先生方や関係団体の方々と学びを深めています。
さらに、全国で私たちの思いに賛同してくれる方を募り、県外にも通信制高校サポート校の設置を進めています。将来的には土日で小中学生の無料塾をしたいな…とか、生徒に起業させてみたいな…とか、卒業生と在校生にたくさんの交流をさせたいな…とか、たくさんの夢を思い描いています。
社会、地域、保護者、卒業生、在校生 … 、たくさんの人が集う場所として『こころ未来高等学校』を進化させていきたいと思います。

沿革

昭和62年1月 長崎カイロプラクティック学院 開校
平成17年4月 学校法人岩永学園 設置認可
平成18年4月 専修学校日本福祉整体学院 設置認可
平成19年4月 こころ医療福祉専門学校へ名称変更
平成21年4月 附帯教育事業 こころ医療福祉専門学校サテライト長崎駅前を開設
平成22年4月 こころプロフェッショナルカレッジ長崎へ名称変更及び移転
平成23年9月 こころプロフェッショナルカレッジ高等部 設置
学校法人国際学園 星槎国際高等学校の連携校として通信制生徒受入開始
平成24年1月 こころプロフェッショナルカレッジ高等部が長崎県教育委員会指定技能連携
教育施設(星槎国際高等学校との連携)となる
平成24年4月 こころプロフェッショナルカレッジ高等部 開校
平成25年4月 こころプロフェッショナルカレッジ高等部をこころ夢未来高等学院に名称変更
学校法人 第二岩永学園 こころ美健福祉専門学校 開校
平成27年12月 学校法人 第二岩永学園 こころ未来高等学校 設置認可
平成28年4月 こころ未来高等学校 開校